日吉神社

 兵庫県姫路市別所町宮山の山麓に鎮座する日吉神社の起源は別所村、北宿村、小林三力村の氏神加茂神社よりそれぞれが分離独立した折、別所村は今の地に社を創建して、山王宮と称し山王権現、少彦名神、牛頭天王、天照大神と薬師如来を合祀し、信仰を集めたのが始まりである。その後、慶応四年(1868)の神仏分離令によって、山王宮の称号は廃され、江州日吉神社から大山咋神の神霊を勧請奉祀した。また、旧来の御神像を左右に移座した。西の小宮に神明神社天照皇大神、八坂神社 素戔嗚尊、東の小宮に粟島神社少彦名神南の一段下に薬師堂本尊薬師如来を移転。そして、日吉神社と称して、東西別所の氏神とした。拝殿の西側には山王宮の神額が残されている。
 
また、氏子たちから雨請い神として、霊験あらたかなことから雨乞神社と信仰されたと伝えられる。 神社の雨乞の由来は、神社の神火拝受して、松明に移し持ち帰り、高山に登り、雨乞すると、霊験著しく必ず雨が降る。その雨で鰻が滑り出てくる。このことから、鰻の宮、雨乞神社と呼ばれたと伝えられる。

写真 左より 山王宮の神額    手前:素戔嗚尊 天照大神    少彦名大神   薬師如来

写真 雨乞の碑 と 絵馬

神社石垣にある細工 瓢箪 扇 盃 


最古の鯱瓦

昭和63年に日吉神社の本殿・拝殿を消失しましたが幸い火災を免れた薬医門の棟の東西に一対の宝珠を抱いている鯱瓦が発見されました。高さ45cmで龍のような顔をした頭の上に高さ8cmほどの宝珠を抱いたこの鯱瓦は全国でも例が無いものでした。日本における鯱瓦の出現は14世紀の室町時代以降とされていましたが、この瓦の製作年次は類似瓦などから考えて天文年間(1532〜1555)頃のものと推定され現存する鯱瓦の中でも最も古いものの一つと考えられます。

 

現在も、神社に宝珠を抱いた鯱瓦が残されています。

 


日吉神社 所在地

姫路市別所町別所687

JR山陽本線 ひめじ別所駅より 北へ600m
地図

JRひめじ別所駅前には
獅子の故郷 別所を象徴するモニュメントが飾られています。